News and Announcements [in Japanese]
地磁気センターニュース


Selection

バックナンバー

 
 
 
地磁気世界資料解析センター News No.131    2012年1月27日
 
 
 
1.新着地磁気データ
 
    前回ニュース(2011年11月30日発行, No.130)以降入手、または、当センターで入力したデータの
うち、オンラインデータ以外の主なものは以下のとおりです。
 オンライン利用データの詳細は (http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/index-j.html) を、観測所名の省略記号
等については、観測所カタログ (http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/catmap/obs-j.html) をご参照ください。
 また、先週の新着オンライン利用可データは、(http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/wdc/onnew/onnew-j.html)で
御覧になれ、ほぼ2ヶ月前までさかのぼることもできます。
 
      Newly Arrived Data
 
          (1)Annual Reports and etc.(off-line)
                LOZ, MMK (Jul., 2010 - Jun., 2011), NGK (Nov.- Dec., 2011)
			
          (2)Kp index:Nov. - Dec., 2011 (http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/kp/index-j.html)
			
 
 
2.AE指数とASY/SYM指数
 
  2011年10月-12月のAE指数暫定値を算出し、ホームページに載せました
(http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/ae_provisional/index-j.html)。
また、2011年11月-12月のASY/SYM指数を算出し、ホームページに載せました
(http://wdc.kugi.kyoto-u.ac.jp/aeasy/index-j.html)。
 
 
 
3.懐かしいお話と地磁気への私の思い
 
    私が就職した頃の(昭和37年/ 1962年)京都大学附属図書館の一室に、「地磁気世界資料センター」
WDC C2が設置されていました。そこに私は配属されました。当時荘さん、尾崎さんがおられたようです
が、私が来たときは河北政子さんお一人でした。河北さんはこのセンターは世界に4か所あるうちの1つだ
と大変強調されていました。
 
 毎日受け取るデータは大抵sea mail でした。荷崩れして観測データのフイルムが飛び出していたり、シー
トで送付されたものは封筒が破れて、データのシートがはみ出していたりでした。そのたびに河北さんは左
京郵便局や、百万編郵便局に電話をかけておられました。
 
 フィルムは何故か1ケ月単位で切られていて、複製するためにはせめて1年単位につなぎ合わせないとい
けないのです。そこでフィルムをつなぎ合わせるのです。(その道具は、多分今も保存されていると思いま
すが)ガリガリとフィルムの膜面を削り接着剤でくっ付けます。その後図書館複写室に複製をお願いします。
フィルムはマイクロフィル(データは大抵ネガフィルムですから、焼きつけることで反転します)に、シー
トのものは撮影してフィルム化する。その後観測所ごとの所蔵をカード記入。これらをもとに毎年カタログ
を作成します。このことで、観測所間のデータの交換や研究者の利用に供していたわけです。今ではデジタ
ルの時代で、このような作業は全くなくなっているのです。本当にリアルタイムであり、素晴らしい時代に
なっていることに感心しています。
 
 当時のセンターには、すでに名誉教授でいらっしゃいました長谷川万吉先生が毎日御出勤されていました。
 
   運営委員会 (準備委員会)昭和37年7月25日(水)
     〃   (第1回)   昭和37年9月4日 (火) 
 
 このように運営委員会も誕生したばっかりです。先生方は長谷川万吉、太田正次郎、田村雄一、大林辰三、
前田担、木村磐根、安原通博先生などが御出席されていました。議事録のタイトルが「京都大学附属図書館
地磁気世界資料室」(注1)とあり、今更ながらどのような組織体制だったのかと不思議な気がします。
議事録に、「資料室として専門の研究者でないと処理に困難な場合があるので、委員会では担当者を決め当
番制で当たる」というようなことが話し合われています。大変だったのですね。
 
   太田先生は、毎日のように来られていて河北さんと打ち合わせしておられます。私はよくわからず、同
じように河北さんと並んで座っていました。部屋は日当たりがよく、カーテン越しに日の光が差し込みます。
私は手もち無沙汰でプラスチックの定規を手でクリクリと、いわゆる遊んでいたわけです。すると向かいに
お座りの太田先生がとても眩しげに眼を覆われるのです。定規に日の光が反射して、先生の眼を射っていた
ことに、河北さんからの指摘があるまで気がつきませんでした。
 
 またある日は、フィルム整理をしながら先生との打ち合わせに向かい合って座っていました。フィルム
を止めていた輪ゴムをまたもや、クリクリとおもちゃにしていたのですが、いつの間にか私の手から離れ
て、ないのです。「ハテッ???」、、、、、、、、、。向かいの太田先生が、大きなオデコを盛んにな
でておられます。「あら〜私の手にないということは、太田先生のオデコに命中してしまったの??」こ
んなことですが、太田先生だから許していただけたのでしょう。今でも先生のなんとも不思議なお顔と、
犯人が分かると何ともニッコリ穏やかに笑っていただいた事を覚えています。それなのに「太田先生は、
野口さん(私の旧姓)を目の中に入れても痛くないほど可愛がっておられた」と、河北さんは地磁気の思
い出を話すとき繰り返しおっしゃいます。今思い返して、そのような態度で働いていましたことを恥ずかし
く思います。 
      
 多分、第一次南極越冬隊員としてお帰りになられたころかと思いますが、「北村泰一先生」にも数回お
目にかかりました。当時珍しいトレッキングシューズを履いておられ、ゆったりとした足取りで来られて
いました。南極では犬係りで大変ご苦労があったことは、後になって知りました。
 
 
     
           <1985年/ 昭和60年頃の写真>
        前列中央が太田先生、後列左端が筆者
 
 
 現在、私は親子理科実験教室(NPOあいんしゅたいん)で子供たちの実験を観察していますが、「地磁
気」のことをみなさんにお知らせしたいと思ったことで、今回このセンターにお世話になりました。私が
働いていた当時の先生で今回お話しできたのは、「荒木徹先生」のみでした。荒木先生に、3時間にも及ぶ
地磁気のお話をしていただきましたが、このことは特別講義のようでした。お世話になりました。また、現
在のセンター長の家森先生には、センターの見学や機器の撮影にお付き合い頂きました。ありがとうござい
ました。
                                 
 地磁気センターでの勤務はわずか3年でしたが、とても懐かしく、穏やかな良い時代でした。その頃の
思い出はいっぱいあって、今回何をどう表現すれば良いのか迷ってしまい、長文になりましたが、今の私
は、「地磁気」とは何かということも知らずに現在まで過ごしてきたことを悔いて、もっと地磁気のこと
を知りたいという思いに駆られています。
 
 
(注1)  現在の「理学部附属地磁気世界資料解析センター」(1977年設立) が、国際組織である地磁気世界
        資料センター (ICSU/World Data Center for Gomagnetism) の業務を引き継ぐまでは、「地磁気世界
        資料室」( 国際地球観測年IGY:International GeophysicalYear が始まった1957年に、京都大学付属
        図書館に開設)が、付属図書館の事務官と学内の教官によるボランティアで、データセンターとして
        の業務を行っていた。
 
 
                                                 (中西 幸子 − 2002年 京都大学人文科学研究所 退職)
 
 
 
 
4.地磁気世界資料解析センターデータサービス報告
 
 
     
 
 
 
5. ホームページへのアクセス統計
 

 
 

 
 
 
6.2011年のkp指数図表
 
  2011年のKp指数図表 (Bartels musical diagram) を下に示します。オリジナルのPostscriptファイルは
http://www-app3.gfz-potsdam.de/kp_index/download.html
の下にあります。